ドキドキわくわく     ガーンポカポカ。

”1番伝えたいこと”と”1番伝えたい人”にちょっとずつ向き合えるようになるまでの 成長記録。

時には自分で”正解”をつくることも必要。

思えば、昔から「割り切る」っていうことがどうも苦手だった。

 

かなは考えすぎだよ。とよく言われていた。

 

例えば、小学2年生のころ、宿題で漢字の練習がでた。

漢字ノートに同じ漢字を10回連続で書いたとき、

何の疑いもなかった漢字に対して

「え、これってホントに合ってるの?」と急に不安が出てくる。

 

この経験はみなさんもあるかもしれない。だけどここからが私らしいんだ。

 

 

まあ、こんなもんか。で割り切ればいいところを

私の場合

「なんだこの違和感は・・・」と疑問や不安を追及してしまうんだ。

 

 

気付けばノート以外にも漢字を書き出す。

 

 

手が疲れる。

 

そして頭も疲れる。。。。

 

 

人よりも多くのエネルギーと時間を費やしてやっと宿題を終える。

 

 

 

こういうことがある度に自分は真面目なんだと思う。

バカが付くほど真面目。バカ真面目である。

 

 

 

もう、ほんとに嫌になっちゃう。

 

 

 

そんなこんなでも、漢字の練習は無事に終わった。

 

 

だけど、人間関係はそうはいかないらしい。

 

 

 

同じ漢字を10回書いたときのように

 

家族、家族、家族、家族、、、、、、

恋愛、恋愛、恋愛、恋愛、、、、、、

友達、友達、友達、友達、、、、、、

 

 

なんかうまくいかない。

ずーっと疑問をもちながら過ごしてきたんだけどね、

 

 

それって、「みんなで幸せになるぞーー!羨ましいと思われるくらいに!」って

頑張ってる自分が決めた「こうあるべきだ」が

知らず知らずのうちに先行しちゃったんよね。

 

 

誰かが良しとした“家族”

誰かが良しとした“恋人”

誰かが良しとした“友達”

 

 

身の回りにあふれてる「こうあるべきだ」の定義に沿って

行動、思考することで

もしかしたら100人中90人くらいは

「ステキだわ~」「あこがれるわ~」って言ってくれるかもしれない。

 

 

だけど今度は、

自分のこと

そしてほんとは心から大切にしたい人のこと

許せなくなるんだわ。

 

「ふつうはこうでしょ?なんでそうしてくれないの?」って否定しちゃうんだわ。

 

 

 

家族や恋人、友達という人間関係って

漢字の書き方みたいに決まってないから、

この順番でこうやったらなれるはずだ!っていう定義は一つもないんだよね。

 

 

だからこそ、自分で描いていいと思う

 

 

どんな“家族”であったら心地がいいのか

どんな“恋人”であったら心地がいいのか

どんな“友達”であったら心地がいいのか

 

 

誰かの言う“完璧な関係”を築くためではなくて、

 

 

自分自身が心地いいと感じるために、描いていいんだと思う。

 

 

 だって

あなたが幸せだと感じているとき、

きっと隣にいる人も幸せな気持ちだと思う☻