(勘違い)完璧な自分じゃないからこそ幸せ
タイトル通り、
「完璧な自分じゃないからこそ幸せ」
って言葉を最近まで勘違いしてたの。
この言葉の意味って、
自分が完璧じゃないから
そこに向かうことができて、少しずつ近づいていくことに
幸せを感じることだと思ってたんだよね。
確かに、自分の目指す”完璧”に少しでも近づいたと感じたときは
達成感に溢れてるし、
自分自身で気が付くことができるくらいガムシャラに頑張った証なの。
すっごい素晴らしいことじゃん。
だけど最近、そーゆー成長してる自分を実感すること以上に嬉しいことがあったんだ。
何かというと、
ただただ、自分のことを話すこと(笑)
今こーゆーことに悩んでるんだー。とか。
今こーゆーことが嬉しいんだー。とか。
ほんとにどーでもいいことをしゃべるしゃべる。
普段はね、自制してることなんだ。これ。
(は?って思った人おるかも笑)
でも、昔から確認しちゃうのよ。
あたしの気持ち思った通りに話してみていいかな~~??って
(だってさー
怖いじゃん、その人も完璧なコンディションじゃないのに
自分のことしか話さなかったら。つぶれそうで。)
こーゆー考えを
さっきのおしゃべり処理係は
「ほんとめんどくさいし水くさい」
で一蹴するのよ(笑)ひどいでしょ(笑)
あたしの話ばっかり聞くときしんどいときもあるんだって。
(正直者め)
けど聞いてくれるのよ。なんだかんだ。
それがね、あたしはめっっっっっちゃうれしかった(*''▽'')
しんどいってやつが。
その人は完璧で余裕があるから自分の話を聞いてくれるんじゃないのよね。
でもあたしがそうしてほしいの知ってるからそうしてくれるんだって。
さすがに時々は拒否られるけど(笑)
支える方も支えられる方も
余裕あるわけじゃないのよね。そらだれも完璧じゃないから。
それでも支え合えるから
完璧なあなたとあたしで生まれる”ありがとう”よりも
不完全なあなたとあたしで溢れてくる”ありがとう”の方が
何倍も染み渡っていくんよね。
いつも、ありがとう。